…と一括りにすべきではないですが…プログレ有名所について

UK/UK(憂国の四士/UK;1978)

リック・ウェイクマンが加わってスタートするはずだったこのバンド、プログレの大御所が全く元気のなかった当時、我が国のプログレ熱血青年達によって圧倒的な期待を持って迎えられたのでありました。それもその筈、フリップに置いてけぼりにされた暗黒暴力リズム隊コンビのビル&ジョン、稀代のテクニシャンの名声を欲しいままにしていた渡世人ギタリスト・アランのホーさん、そして「USA」への参加にその後の運命を決定づけられた天才美青年エディ君の合体であります。クリムゾンの再来をイメージした方々も非常に多かったと聞きますがこれは当然の成り行きでしょうね。実際にはフタを開けてみると、クリムゾン的な神秘性や重さは皆無、もっと解りやすい正統派のロックになっておりましたね。結構当時は話題になりましたし、クリムゾンはどうも・・・というロック・ファンにも抵抗無く聴かれていたのではないかと思われます。最もこの面子ですから、現在プログレオヤジと化している面々にとっては、折しもパンクの嵐が吹きすさぶ荒涼とした音楽シーンでのまさにオアシスとの再会であり、オープニングの変拍子に恍惚と涙したことでしょう。「Presto Vivace」の複雑なリズムは今もオヤジには快感であります。ただ当時から私気になっていましたのはアランさんの影の薄さで、この作品では決して「弾きまくって」はいませんのが残念ではあります。言ってみればバンド内でのギタリストの存在に必然性が感じられない訳ですが、この辺の理由は次作「Danger Money」を聴くと良く解りますね。アランさんがビルブラさんと共に脱退、エディ君同様ザッパ門下のテリー君が参加、トリオ編成となって焦点が絞られた音づくりになっておりまして、一般にはこのファーストよりも評価が高かったりしますね。

Danger Money/UK(デンジャー・マネー/UK;1979)

そんな訳で私はファースト遭遇からほぼ20年経過して初めてこのアルバムを聴くことが出来ました。実はその前に「Night After Night」をレンタルCD屋さんより借りてきて聴いてはおりましたものの、どうもあの作品に入っていた当アルバム収録曲がピンと来なかったためイマイチ食指が動かなかったのですよ。でもそうこうしているうちに某中古CD屋のワゴンでリーゾナブル価格のブツを発見、このときは全く躊躇無く手にしておりました。さて実際に音を体験して、遅れ馳せながら「こいつはエエエどっ!」と確信致しましたのであります。「Night After Night」の印象から、前作に比較すると大分メロディアスで甘口の曲が増えたのではないか、という予想をしておりまして、”Rendezvous”などそれはそれでPOPになって良かろう、と感じましたが、心底驚きましたのは、やはりこの70年代後半にあって正統的な”プログレ”をガンガン演りまくっていたことであります。特にタイトル曲と最後の”Carrying No Cross”の変幻自在、息もつかせぬ展開は、これぞプログレ黄金期プログレの醍醐味!と断言できます。そしてなんともボジオのドラムはテクニカルかつロックしていて凄いです。まあ本当久しぶりに手に汗握って聴きましたがな。一方手厳しい評論家には、この作品、「プログレの様式美だけを踏襲した!」とか言わている様子ですが、いいじゃないのカッコイイんだから、ねぇ・・・。

Greenslade/Greenslade (グリーンスレイド;1973)

名前だけは随分昔から知っていた様な気がして早20数年・・・99年になってからある方のご好意でStrawbsの「魔女の森から」を聴くことが出来たのですが、そのテープの裏面にオマケで録音して戴いたのがこのアルバムでした。
ご存じ無い方の為に一応説明致しますと、このバンドの源となったのは70年代前後に活躍しました異種交配バンド「コラシアム」であります(あります・・ってこの時点で私この方々の音をちゃんと聴いたこと無いんですが、積極的に見逃して下さい)。絶頂期には相当スリリングな演奏を聴かせてくれたらしいですが、72年に解散、キーボード奏者のデイヴ・グリーンスレイドが結成したのがこのバンド、という事になります。従って別項に登場するジョン・ハイズマン率いるテンペストとはいわば兄弟バンドとも云える訳ですね。
ウリは何といってもツイン・キーボード、という事になりますので、メロトロンがドバーッ&ハモンドがジョワーッとシンフォニック全開な派手派手プログレを期待なさる向きも多いと存じますが、実は非常にシンプルで温かい世界が展開されているのでした。何故かというと、コラシアム時代の軸となっていたバリバリした緊張感はジョン・ハイズマンがテンペストに全部持ってっちゃたらしいのですね。ダサイ、と言うとやや語弊がありますが、洗練されたサウンド、とは遠い位置にありまして、でもそれがまたナイーヴで良い味を出しているのですよ。デイヴ・ロウソンのフニャフニャしたヴォーカルも親しみが持てますし。間違いなくプログレなのですが、何だか心が和むという私個人にとっては希有な作品であります。あ、そうそう、私無知だったので非常に驚いたのですが、ドラムはあのクリムゾンに在籍していたアンディ”リザード”マカロックだったのですね。この人のジャージーなプレイは意外に好きなのであります。しかしこの人達、ライヴでもこんな音で演っていたのでしょうか?是非聴いてみたいものです。

Greenslade Live/Greenslade (1999)

などと勝手な事をほざいておりますと、実にタイムリーな事にオフィシャルとしては初めてのライヴ盤が99年の夏に発売になりました。99年の9月現在、国内盤は未確認。Mystic Recordsというところから出ております。
さて、このCDは1973年と1975年のライヴ音源から構成されているのですが、これはやはりこの期間におけるパフォーマンス面でのバンドの変化と深化を明確に訴えようとする意図が感じられます。そして、それはかなり成功している、と私あたりは思うのです。現時点でファーストとこのアルバムにか聴いていない私が偉そうに言うのもなんですが、例えばファースト・アルバムの収録曲である”Sundance”のみ唯一両年の音源が聴けるのですが、75年の演奏では、アレンジも大幅に変わっており、またインスト部分の充実振りは目覚ましいものがあります(軽めのフュージョンあるいは黒っぽい風味はこの時期の音楽界の流れも多分に感ぜられますが)。世間一般の評価では年々POPになっていったとされるこのグループですが、意外な一面を見たような気がしました。それからですね、マカロックさんのこの曲でのドラムは非常に小気味よくてやっぱり私大好きです。そして相変わらず此の面々の演ってる曲は何故か地味めではありますが、根強いファンが多いというののも何となく判ったような気になってくるから不思議ですなー。
さて、内ジャケにはデイヴ・グリーンスレイド自信による実に簡単な解説が載ってますが、それによると、何と近い将来ニュー・アルバムの計画もあるのさっ!ってことで、昔からのファンには嬉しいニュースも期待出来そうですね。

Playing The Fool/Gentle Giant (プレイング・ザ・フール/ジェントル・ジャイアント;1977)

Gentle Giantの音楽性、とかいってもまあ彼らの場合はやたらと広く、出来ないことなど無いんでないの?とでも言いたくなってしまうようなところはあるんですが、私個人的に、彼らの真髄は「えろう難儀なことを難解にでは無く、解りやすく楽しく聴かせる」事にあるのではないかと思うのであります。演奏自体の超絶技巧はもう当然で、コーラス・ワークも決して一筋縄ではいきません。更にマルチ・プレーヤーの集団ですから楽器はこまめに取り替えるし、楽曲は複雑怪奇な展開をめまぐるしく魅せるものが多いのですが、これがまた実にスマートなのであります。まるでサーカスのノリではないかと思われるほど、嫌みのないエンターテイメントとして楽しめますよ。私はビデオも含めて実際にライヴを観たことは無いのですが、おそらく全盛期の彼らのライヴって文字通り時間の経つのも忘れさせてくれるような極上のパフォーマンスだったのではないか、と思われるのであります。と言うわけでこのアルバムは、彼らのそれまでの活動の集大成的な作品で、まさにベストなパフォーマンスをこれでもかと聴かせてくれる、これまた極上の一枚であります。取り敢えず初めてこいつら聴こうか、というお方には手っ取り早い一枚ではないでしょうか?未体験の方は騙されたと思って是非一度どーぞ。しかし、私の持ってるCDはインデックスがメチャメチャで、最初聴いた時にはどれがどの曲なのかぜんぜーん解りませんでした。これだけはちょっと文句言いたいですけど。

Moonmadness/Camel (月夜のファンタジア/キャメル;1976)

彼らについてはもっと他に紹介すべき作品があるんでないの?と異論を唱える方が多かろうとは思いますが、私キャメルについては初心者で、この一枚を含めて3作品しか体験しておりません。従って個人的な思い入れのみでお話させて頂きます(他のそうだけど)。このアルバムを最初に聴いた時の印象が依然として強烈なのです。この時期あたりのキャメルは、サウンドの柔らかさが最も特徴的ではないかと勝手に推測しております。初期GENESISが同様にファンタジックな音づくりを表現の軸としていながらその底に独特の暗さを秘めていたのに対して、キャメルのそれは聴き手に緊張を強いることなくあくまでも彼らならではの何処までも優しい世界に遊ばせてくれるかのようです。最も「Luna Sea」に見られる通りスリリングな盛り上がりもちゃんと用意されており、さりげなく演奏力を主張している辺りも結構ニクイですね。
高校生の頃、GENESISを聴き飽きて次のターゲットを模索していた友人がこのレコードを貸してくれまして「Air Born」の美しさに大きな衝撃を受けました。今でも大好きな曲で、このHPにいらして頂いている方々のご協力で”初心者向けプログレ洗脳テープ”なるものを作成した折りにもこの曲を入れました。高校生当時は、クリムゾンやらジェネシスの追求で手一杯でしたので、この一枚のみを聴くに留まりましが、CDが比較的手に入りやすい今日この頃、一枚ずつじっくり追体験していこうと思っているのです。

The Rotters’ Club/Hatfield And The North(ロッターズ・クラブ/ハットフィールド&ザ・ノース;1975)

カンタベリー最大の遺産、至高の名作と呼ばれておりますなー。”さりげない音に彩られながら実は音楽的には非常に高度なことを演っていて、その深さに気づいた時、貴方はこの名盤の名盤たる所以を知るだろう”なんて事を教えてくれる書籍は数多いのですが、私は未だにこの作品の何処がどう凄いのか把握しきれないでいるのであります・・・ありますが、非常に実は大好きなアルバムで、全体に漂うフワーッとした雰囲気が気に入っているのだろうと思いますが、結構聴いてます。ジャズ・ロックがベースになっていて、キャラバンの味付けが利いている、という感じの音楽なのでしょうか。突然緊張感あふれるインストが始まったりしてその辺も風変わりですね。全般に、リチャード・シンクレアの飄々としたヴォーカルのせいか、温かいムードに包まれていて気持ちイイです。そうそう、あの有名なスパイロ・ジャイラ(スミマセン私実は未聴なのですが)のバーバラ・ガスキン嬢(当時)の独特の美しいコーラスも聴けますね。歌入りのものは非常にPOPな様でいて良く聴くと一筋縄ではいかないひねくれたメロディー・・・特にフィル・ミラーの弾くギターの旋律・・・には心地よく裏切られっぱなしだったりします。なんと言うかかなり癖になる音でありましょうか。私のプログレ師匠の一人は、「10回目位からどんどん良くなる。」とおっしゃっていましたが、至言と思います。いずれにせよ、クリムゾンの「リザード」よりも早く好きになれそうですから、未体験の方は、騙されたと思って是非聴いてみて下さい。

ThirdからSixあたりのSoft Machine
  (ソフト・マシーン;1970→1973頃)

最初に聴いたのは、FMで流れた「Moon In June」で、オルガンの響きとヴォーカルの何とも言えない味わいが耳に心地よかったのです。次の日レコード屋に確認に行き、この局がサード・アルバムに収録されている曲と知りましたが、やはり高校生の分際で2枚組、しかも全く未知のアーティストのLPをポンと買うのは大変なことです(こればっかですけど、本当なんですって)。大体ジャズ・ロックそのものを聴いたことなかったんですから。結局その時は見送ったのですが、いずれはこの作品、聴かねばならぬと決心してはや20年弱経た93年の春、クリムゾンのファーストと供にCDを購入したのでした(この頃はすでに一枚ものになっていて1,800円で買えました。良い時代になったものです)。で、どうだったかって?実はぜーんぜん解らなかったのです。「Moon In June」以外は何が起こっているのか全く理解不能であり、妙にクールな音楽だなぁと思ったくらいで、どうも現代音楽的なムードに違和感感じまくり。しばらくはさわりもしませんでした。そして更に一年後、偶然某レコードコレクターズ誌の記事を目にした私は再びこのアルバムと対峙し、今度はなんだか解らないながらも何故かこの摩訶不思議な世界にハマッていったのです。気がつくと、4,5,6枚目と他の作品も買ってました。テクニックとか難しいことには言及しかねますが(要するにわかんないんですね)、何というかじわじわっと続く催眠的リフが気持ちイイんですわ。それに尽きますです、ハイ。このグループは、作品毎にその目指す方向が微妙に違っていますが、私個人的には単に「ジャズ・ロック」とは言い切れないこのあたりの音が最も好きな時期です。

WORLD RECORD/Van der Graaf Generator
      (ワールド・レコード/ヴァン・ダー・グラーフ・ジェネレーター;1976)

発売当時アルバムの中の一曲をFMの番組で聴き、ずーっと持っていたそのテープを再び発見したのはこのCDを買ってからという例によって例の如くの有様。CDを聴いて、「おお、この曲は・・・。」と感動の再会を果たしたのは、94年のクリスマス・イブのことでありました。その想い出の曲「ワンダリング」は、V.D.G.G.の、いや、プログレッシヴ・ロックの数多くの名曲の中でも五指に入る至高の名曲ではないでしょうか?ある種の決意表明とも言えるハミルの力強い詞とヴォーカル、そして、まるで天空へと登りつめようとするような美しいメロディーが融合する時間は、まさに至福のひとときであります。この作品中の他の曲がわりあい地味な印象を与えるためか、余計この曲の盛り上がる様が目立ったのでしょう、私にとっては。実は「MASKS」とか「When She Comes」なんて、相当に良い曲なんですよ。
さて、94年12月24日の晩、感動の余韻に浸っていた私は、2時間後には救急病院のベッドの上に。夕食に摂った生牡蠣にやられたのであります。1974年、蛤に苦渋を舐めたフリップの気持ちが理解出来た貴重なひとときでありました。点滴を受けながら、「ワンダリング」の美しい調べがいつまでも脳裏を駆けめぐっていたのは云うまでもありません。

PAWN HEARTS/Van der Graaf Generator
      (ポウン・ハーツ/ヴァン・ダー・グラーフ・ジェネレーター;1971)

V.D.G.G.の作品中、最も70年代正統派プログレタイプの作品です。オリジナル盤的には全3曲収録されていて、その全部が名曲と言い切っても宜しいのでは。特に「マン・エルグ(って読むのを知ったのは実は最近)」は前半の崇高な曲調は先述の「ワンダリング」を彷彿とさせるものがあり、個人的には大好きであります。勿論アナログB面の大曲「A Plague of Lighthouse Keepers」は購入当時子守歌替わりにカセットテープに録って(部屋暗くしてヘッドフォーンで)聴いていたほど、一時期親しくおつきあいさせて頂いた曲です。YESの「危機」やGENESISの「羊」同様、私にとってはいまだに一気聴き以外は許されない作品です。ところで、私がこの作品を手に入れたのは4曲入りUS(Buddah Records)盤でした。このレコードはなんと穴が中心からずれていたために音程が不安定で、最後のフリップの客演ギターに珍しくフェイザーが掛かっているなー、なんて思いながら聴いていたものです。後にこりゃいかんと気づきまして再度中古を購入したらばこれがまたBuddah Records盤。従って当然「4曲入り」がオリジナルと信じて疑わなかったわけで、後年CDを買ったとき、「テーマ・ワン」が抜けている!と非常にがっかりしたものでした。最近になって星野さんのHP・掲示板でのやり取りを通じオリジナルは3曲構成と知り、はたまたその「テーマ・ワン」がかのジョージ・マーティンの作という事実にえらく驚く羽目となった次第です。

VITAL/ Van der Graaf (ヴァイタル/ヴァン・ダー・グラーフ;1978)

情念の炸裂とでも言ったらいいのでしょうか。針を落とすと、暗鬱な音の塊がこれでもかとばかりにぐいぐいと押し寄せて来る。ニック・ポーター&ガイ・エバンスのリズム隊の放つエネルギーは例によって筆舌に尽くし難く、ハミルの狂気のヴォーカルはこれぞ最後とばかりに吼えまくっております。はっきり言って一気に聴いてこれほど疲れるアルバムに出会ったのはこれが初めてでありました。高校三年生の時に「Pawn Hearts」に続いて聴いた作品で、何よりもこの作品から放射される圧倒的なエネルギーに直撃されたのです。以降このグループのアルバムは遡って聴くことになるのですが(まだ全作品を聴いてはいませんけれども)、「ヴァイタル」での彼らの過去の曲とオリジナルとでは、印象が非常に異なるのであります。全く新しいパワーを注入されたというか、曲の表情が一変しております。・・・かの「アースバウンド」における「21世紀の精神異常者」的に。そう言えば、この「ヴァイタル」もマーキー・クラブでのライヴ録音という事ですが、音が全体的にこもり気味で、楽器のバランスもちょっとおかしいです。当時の技術水準から見るともっといい音で録れたはずなんですが、これがまた、このグループのアンダーグラウンドなイメージと、作品の醸し出す異様なムードとに不思議にマッチしている様にも感じられます。V.D.G.(G.)を知らない人にいきなり勧めるのは無理としても、いずれは聴いて頂きたい作品でしょう。残念ながら、最近手に入るCD(1枚もの)では、「Sci-Finance」と、よりによって「Nadir’s Big Chance」の2曲がカットされてしまっています。レコードの減り具合を気にしてCDを探しまくり、ようやく見つけて嬉々として買った私の立場をどうしてくれる。許せん。

ASHES ARE BURNING / RENAISSANCE (燃ゆる灰/ルネッサンス;1973)

その昔から、ジャケットに惹かれたことはあれど、経済的な理由から購入を断念したレコードは星の数ほどございましたが、これはその一枚。古本屋にて480円にて購入しました。これはPFMの「甦る世界」200円に次ぐ自己記録であります。このグループ、歌姫アニー・ハスラムの美声につきましてはその評判を至るところより耳にしてはいたものの、実際に体験したといえるのはこの作品を手にしたその時が初めてです。その後このHPを開設してあちこちをふらふらしておりますと、このバンドの人気の根強さにはただ驚くばかりであります。
70年代においては、”クラシカル・ロック”とも形容されておりましたが、その名の通りクラシックの薫りとフォーク&ロックをベースにした親しみやすくかつドラマティックな作品群には、プログレに決して馴染みのない人でもすんなりと聴き入れる素晴らしさがあります。アルバム・タイトル曲は、彼らの全盛期のライヴでは必ず演奏されていた代表曲で、非常に聞き応えがあり、ウィシュボーン・アッシュのアンディ・パウエルの客演ギターも聴けます。
さて、このグループの音の最大の魅力はアニー・ハスラムの透明な歌声ですが、そもそものオリジナル・ルネッサンスで後年「イリュージョン」として復活したいわば姉妹バンドの一方の歌姫、ジェーン・レルフとも良く比較されるところであります。硬質なアニー、ソフトなジェーンと言ったイメージでしょうが、「陽と陰」と感じてしまうのは私だけでしょうか?ちなみに私は何故か「イリュージョン」の方を最初に聴いてしまっている為か、こちらにも少々思れがあるのです。ちなみにこのふたつのグループのあれこれについては、女性(ヴォーカルもの)について非常に詳しいごうきさんのHPを覗いてみて下さい。

AMAROK ;MIKE OLDFIELD (1990)

オールドフィールドさんと言えば、普通かの「チューブラーベルズ」からハマる人が圧倒的だと思いますが、でも私の場合、実は・・・やっぱりそうです。しかしながら別項にも書きましたが、私たち(と言うと語弊があるか?)の世代はこの作品と「エクソシスト」との関連は避けて通れない状況にありました。全くあの映画はホントに面白かったなぁ・・じゃなくってあの映画は「チューブラーベルズ」をたくさん売ってはくれたけれども、イメージの収支から言うと結構シンドイものを残してくれたようですね。さて、話は18年ほど飛びまして、この「アマロック」という作品は数あるオールドフィールドの作品の中でも、特に手作り色が強いというか、かなり血の通った性質のものです。「ギターが世界を旅をする」というコンセプトが根底にあるということで、フラメンコ・ギターなどの世界各地の特徴的なメロディーが随所に流れたり、歯磨きの音にみられる様に彼独特のユーモアも感じられます。加えて、目の覚める様なハッとする瞬間が散りばめられているのが、この作品の素晴らしいところではないでしょうか。オールドフィールド作品の魅力を私に教えて下さったのは、このHPからもリンクさせて頂いているHasegawaさんと言う方で、「アマロック」の魅力を”音楽のおもちゃ箱」と表現されていました。至言と思います。

OMMADAWN ;MIKE OLDFIELD (1975)

いわゆる初期三部作の完結編とも言うべき作品ですが、私にとっては「チューブラーベルズ」よりも好きな一枚であります。個人的な見解としては、オールドフィールドを未体験の方々には彼の最大のベストセラーである「チューブラーベルズ」よりもむしろこっちをオススメしたい。と言うのは、意地の悪い見方かもしれませんが、この偉大な処女作の成り立ちにはオーヴァーダブの技術を駆使してどれだけの事が出来るか?という実験的な側面がやはり見え隠れする様な気がするのと、それ故に作品自体の完成度、というか流れはやや纏まりを欠く印象が強いと私は思うのです。一方この「オマドーン」ですが、前2作を経てオールドフィールドの音楽的表現に余裕が出てきたのか、展開もごく自然ですし、何よりも彼のルーツとも云えるトラッド色などがかなり正直なカタチで(小細工無しに)表出していて、素直な気持ちで聴けるのが魅力です。加えて雄大なイメージを伴うスケール感は素晴らしいの一言に尽きますね。素朴な音の積み重ねの果てに現れる最終部の(民謡なのでしょうか?)素朴な歌声はオヤジの胸を打つのであります。
私は鋭角的なプログレを比較的好み、無理矢理仕事の動機付けに使ったりしておりますが、そんな合間に「オマドーン」を聴くと大袈裟ではなく「心が洗われる」様な体験をすることが出来るのです。

以下、ああだこうだと申し上げる作品群については、このHPをスタートしてから初めて耳にしたものばかりです。此処はじわじわ書いて行こうと思っております。ご来訪の皆さんからのご教示、アドバイスには心から感謝しております。それでは!

Vemod/Anekdoten(暗鬱/アネクドテン;1993)

以前より名前は勿論知っていたものの慎重な私は未聴期間が長く、噂ばかりを聞きながら過ごしていたのでした。「クリムゾン・ライクな音」という評価を良く聞いておりまして、「何言ってんだ。クリムゾンはクリムゾンだけであってライクも糞もあるもんか」ってなもんで、どうも私なりの引っかかりを感じていたのは事実であります。でもまあこれもタイミングというものか、偶然仙台市内の某中古CD屋で安い輸入盤を発見して入手しました(しかし、その後国内盤にはボーナス・トラックがある事を知り地団駄を踏んだものですが。まだ出会って無い方は国内盤を探した方が良いですよ)。結果、予想以上に・近年稀に見る具合にハマりました。あっという間に前言を翻してしまいますが、「70年代クリムゾンが大好きな方はきっと小躍りするほど嬉しい」音だと断言致します。こういった方向性のバンドは、本家と比較されてり評価は難しい場合が多いと思いますが、「俺たちゃクリムゾンが本当に好きなんだよ~!」なる訴えと愛情がそこかしこに見え隠れして微笑ましく非常に好感が持てるのですよ。でもって音がまた「Starless」クリムゾンの数倍暗く、詞は(ちゃんと読んではおりませんが)ちらほらと聴こえる単語から想像しますに十分救い様の無い内容なんだろうなぁと思わせる暗さに満ち満ちている模様でこの辺りも期待に応えてくれておりますね。圧倒的な文字通りの”暗鬱”な音圧を力任せに叩きつけてくれる好盤であります。時折フワーッと舞い上がるメロトロンの哀感もプログレファンを納得させるツボを心憎いまでに刺激しますしね。ヴォーカルはその辺のお兄さんといった感じでどうにも弱々しかったりするんですが、私はこれもご愛嬌と好意的に捉えてしまいました。ただ、惜しむらくはほとんど全曲が同じ様なテンションで続いていく事もあり全編聴くとちょっと疲れるかなぁ、といったところでしょうか。この一枚に出会ってすぐ、例によって同盟関係者のご好意により続く作品群を耳にすることができましたがいずれも十分一聴に値すると思います。余計な感想かもしれませんが、いきなり未CD化の曲をガンガンツアーで演ってみたり、その新曲を「納得イカン」と次回作からはずしてみたりとこの辺も70’sクリムゾンフォロワーの面目躍如と言ったところでしょうか。

YS/Il Balletto Di Blonzo(イプシロン・エッセ/イル・バレット・ディ・ブロンゾ;1972)

オレンジパワーさん、Refugeeさんの両氏から「こいつは名作だよーん」と啓示を戴いたのが99年のある夏の朝。その日の昼には仙台駅東口の小さな中古屋でこのレコード(韓国再発盤)を手にしていたのです。勿論これは運命以外の何ものでも無いと(980円でしたし)迷わず購入した次第であります。
初っ端からオリエンタルな調べと呪術を思わせる怪しげな女性(?)の歌声に導かれてダークな世界に引きずり込まれ、突如として出現するお呪いコーラス、哀しげなチェンバロの音色などに翻弄される内に後はもうそれこそ一気に聴けてしまいます。基本的にはハード・ロックの流れを汲む作品なのでしょうが、ギターなどを聴くとクリムゾンの影響なども随所に感じられ、尚かつテンションの異様に高い独自の世界を構築しているところなんざ・・・ああ素晴らしい!さてこのグループ、(未聴ですが)ハード・ロック的作品であった前アルバムの後、キーマンであったと言われるジャンニ・レオーネ(ヴォーカル・キーボード)の加入により、重厚なサウンドを生み出すプログレ・バンドに変身し、この稀代の名作を世に問うた、ということらしいのですが、その後はシングルを一枚発表して解散という寂しい運命を辿ったのは残念な限り。ちなみに「YS」絡みでは世界進出を狙っていたと思われる英語版シングル(「イントロダクション」と「第2部」入り)も発売されており、これもワイルドで魅力的な演奏です。勿論CD化もされています。

Palepoli/Osanna(パレポリ/オザンナ;1972)

何故この作品を知ったかと申しますと、下記に述べますP.F.M. 「甦る世界」の国内盤CDに高見博史氏のライナーが付いていて、”キング・ユーロピアン・ロック・コレクション”のラインナップの解説中にこの作品は「黙って買ってしまおう。」と書いてあったから、と言う実に単純な理由であります。運良く某中古フェアーで1,200円の伊盤CDを入手する事が出来ました。これって原盤のマスター使っているのでしょうかね?一説には原盤と日本国内盤とではアナログA面最終部分のテイクが異なるらしいのですが、これは私未確認であります。
ところでこの作品、全編ヴォーカルはナポリ方言で録音されているらしく、もちろんイタリア語は全く理解出来ない私ですが、この言語の効果はおそらく彼らが目指したであろう土の匂いや密教的・神秘的なムードをより一層高めている様な気はします。また、お祭りの情景を彷彿とさせるなど、一貫して実に映像的な印象があるのです。・・・しかしながら私、購入後随分聴きましたが、未だに全貌を掴みきれない混沌とした構成と感じられており、そしてそれがまた心地よい、という相変わらず実に邪道な聴き方をしております。すみません。いやーでもねぇ、一瞬ブレイクして深いメロトロンがじわーっと迫ってくる所などこりゃもう堪りませんでのですよ。いまだに就眠前に布団の中で聴いたりしとります。

Forse Le Lucciole Non Si Amano Piu’/Locanda Delle Fate(妖精/ロッカンダ・デッレ・ファーテ;1977)

77年と言うと全世界的にプログレの流れが滞った状態で、特に当時イタリア本国では全盛を極めたバンドも既に活動を停止していたところが多く、全くもって微妙な時期に発表された作品です。幸いにも日本ではレコードもCDも発売されてまして、稀代の名作の誉れも高いこの1枚を楽しむことが出来るのは、(大げさでは無く)ああこの国に生まれて良かったなぁ的な喜びと言えましょう。
7人編成のグループですが、何と言っても全体に流れる甘美さはファンタジックなジャケットのそのままの再現ですし、加えて変幻自在な曲構成でありながら完璧なアンサンブルが素晴らしい魅力となっています。私が非常に驚いたのは、イタリアン・プログレに特徴的なある種のどろどろとした情念的なものが拍子抜けするほど希薄で、ヴォーカルがロック的ダミ声の割には前編に純真さや無垢のイメージが漂っていることです。プログレに”重さ”を求める向きには決してお勧めしませんが、カチッとした構築美・様式美と洗練されたアレンジがお好みで未体験の方には是非お聞き頂きたいものです。一聴後の爽やかな後味は本当に格別ですよ。
残念ながら70年代にはこの1枚しか作品を残さなかったバンドですが、後年当時のライヴ音源も発掘され、90年代に入って再結成し、2ndアルバムも発表された模様です。

Tilt/Arti+Mestieri(ティルト/アルティ・エ・ミスティエリ)

のっけから後期ソフトマシーンみたいな曲が始まってしまうので、初めて聴かれた人は「本当にこれってイタリア?」と思われるのは間違いありませんでしょう。世に言うイタリアものの中でも本格派のジャズ・ロックを聴かせてくれるバンドです。音全般について云えますのはブリテッシュのジャズ・ロックと違うのはくぐもった&ちょっとヒネリを効かせた音づくりでは無く、イタリアならではの抒情性がそこかしこに感じられることであります。
また、特筆すべきはやはりドラムであります。世間一般の方々同様、私も一聴してフリオ・キリコの叩きっぷりに一目惚れ。一曲通してドラムだけ追って行くと解りますが、”パターン”とか”惰性”といった言葉はこの人には本当に無縁で、一時として耳を離せない、クリエイティヴとしか表現しようの無いまさに歌いまくりのドラムなのであります。現時点でこのファースト・アルバムしか聴いていない私が言うのも何ですが、とりあえずはこの人のドラムを聴くだけでも、この1枚を入手する価値はある、といっても言い過ぎでは無いと思います!最後がタイトル曲なのですが、これだけ他の曲と趣がちょっと違っていて、不気味なノイズ風の響きの謎めいた余韻に思わずニヤリとしてしまいます。

(プログレオヤジを名乗るワリには実に最近のP.F.M.との出会い)

経済状況的には右も左も真っ暗闇よという声も聞かれた1998年ではございましたが、世の中ってやつはどこに楽しみが転がっているのか解ったもんじゃございません。私が生涯初のP.F.M.のCDを手に入れたのはオープンしたばかりの中古本屋。しかもScatman・Jhonさんの隣で200円の値段を付けられており、この方々がプログレ方面とのこと位は知っていた私、プログレたるものこの価格で店頭に埃を被っていてはいけないんではないの?という殆ど義憤に駆られた勢いで手にしました(最も正直に言えば、200円だったらハズレでも諦めがつくだろーという打算が働いたのですけれど)。思えば今を去ること20数年前、「チョコレート・キングス」を友人の部屋で聴いたことはあるものの、肝心の音の方は何故かキッパリと記憶の彼方に見送っていた私としてはイタリアン・プログレは初体験でした。ユーロと言えるのは、アフロディーテス・チャイルドの「666」しか知りませんでしたからね。その200円初体験CDとは”キング・ユーロピアン・ロック・コレクション・アンコール”「甦る世界」どす。

L’Isola Di Niente/P.F.M. (甦る世界/プレミアータ・フォルネリア・マルコーニ;1974)

私の聴いたCDは、「The World Became The World」として世界発売された作品の自国内(伊)向けヴァージョンで、一部作品を除き本国語で歌われております。しかし、イタリア語の響きに馴染みの無い私ではありましたが、オープニング「L’Isola Di Niente;マウンテン」の混声合唱に身構えつつも複雑な曲の展開にみるみる内に巻き込まれてしまうのでありました。弊BBSでも何度か言って来ました通り、最初に私の心を捕らえたのは「La Luna Nuova ;新月(原始への回帰)」であり、後半のクライマックス、例の加速度付のめくるめく恍惚のリフ攻撃に初めて直撃されたダメージは、あたかも未知の投げっぱなしジャーマンを頂いた衝撃にも匹敵するモノでありました。ある程度はプログレを聴き慣れていたと自負していて、大抵のものに驚かなくなってしまっていた私にとって、こんな曲を聴いて、しかーもこんな感覚に囚われたことはこれまで無かったんですよ、マジで。そう言う意味では、この歳になって新鮮な感動を与えてくれたこの作品にはとても感謝しているのです。
さて、続く「Dolcissima Maria;通り過ぎる人々」の繊細な詩情にも心を打たれます。本当に美しいです。最後の曲となる「Via Lumiere;ルミエール通り」も緩急自在な構成に驚くまま、あっと言う間に至福の時は過ぎていく・・・といった具合で、私は聴き終えてから、P.F.M.との最初の出会いがこの作品だったことは、果たして幸せだったのか不幸だったのか、ちょっと心配になりました。だってこれって、ひょっとして彼らの最高傑作だったんでないの?と思われたからです。次は一体何を聴いたらいいのだ?

Photos of Ghosts/P.F.M. (幻の映像;1974)

と言うわけで、続いてとりあえず同シリーズで復刻盤CDが入手しやすかったこの有名な作品を購入。これはいわゆるマンティコア版の世界ヴァージョンですが、嬉しいことに前述「甦る世界」に勝るとも劣らない傑作でありました。「River of Life;人生は川のようなもの」のリリシズムとダイナミズムの融合に背後からのラリアット、「Celebration;セレブレイション」の英国産だけがロックじゃねえぞ的スピリッツの爆発、「Mr.9Till 5;ミスター9~5時」のドラムとピアノが壮絶に絡む変態的リフ・・・ああ、これはもう素晴らし過ぎます。
この方々の素晴らしさは、身構えて「プログレ」聴くぞ!という用意が無くとも何もかも自然に入って行ける音楽を創っていたその事に有ったのではないですかね?オレンジパワーさんがおっしゃる通り、地中海の青さ、はたまたイタリアの大らかさが成せる技なのか、余計な勘ぐりは無用とばかり、難しいことはどーでも良く!ぐいっぐいっっと引き込んでくれる何やら問答無用の強さがあるのですよ。ところでこの作品、イタリア本国的には「Per Un Amico」なる原典があるのです。

Per Un Amico/P.F.M. (1972)

でとりあえず私も流れとしては「幻の映像」の元である、という認識を得てこの作品結構探しました。というのは、たまたまタイミングが悪かっただけだとは思いますが、インターネット通販では品切れ状態が続き、中古屋でもなかなか見つける事が出来ず、久々に文字通り血眼になって徘徊していたのであります。結局3ヶ月間の捜索の後、灯台下暗しの通りいつも通っている「レコード・ギャラリー」という雑然とした中古屋さんの山の中で発見して嬉々として持ち帰ったのです。
さて、実際聴いてみると、英語盤とは大分印象が違うなぁ、というのが正直な感想です。曲目も多少違っておりますので簡単にどうこう言うのはマズイのですが、「幻の映像」は全体的に音のメリハリが意図的に強く派手にされている様に思われます。コアなファンの方々の中では、「伊盤の方が素朴で好感が持てる」というご意見が圧倒的だと思うのですが・・・私自身の感想では、例えば1曲目、「River Of Life」の原曲である「Appena Un Poco」はアレンジがシンプルになった分特に前半のリフの迫力などが薄いような気がします。「River Of Life」の方がダイナミックで魅力的だと思ってしまうんですよ。しかしながら一方、「Generale!」はボーカルを被せてしまった「Mr. 9 ‘Till 5」よりも断然良い!好みと言ってしまえばそれまでなんですが。

The World Became The World/P.F.M. (甦る世界/プレミアータ・フォルネリア・マルコーニ;1974)

そんな事情でこの英語盤も当然聴かねばなるまいと再び、そして今度は中古レコード探しの旅が始まったのでありました。と申しますのは是非これを聴こう!と思った時点ではこの作品日本では未CD化、と言う状態であったからです(99年夏に紙ジャケットで無事CDとなりました)。この英語盤の方は伊盤よりタイトル曲(これがやはりアレンジが派手!)の分1曲多い仕様となっており、曲順も入れ替えられてます。内容の方は、基本的にバックの演奏自体は同じでヴォーカルが差し替えられている、と言った感じなのでまあほとんど同じ・・・と思うでしょ?ところが音的処理の違いも含め、言語の響きというのは思いの外大きな影響を及ぼすものでありまして、曲によっては印象は相当違います。1曲目の「The Mountain」などは、ヴォーカルがなんかヌメヌメっとした感じになってまして、私は伊盤の方が朗々・伸び伸びとした歌いっぷりで好きです。加えて「Just Look Away」も伊盤の「Dolcissima Maria」の方が奥ゆかしいというか日本人好みの繊細なアレンジメントで良い、と思うのですが・・・。ただ、「Four Holes In The Ground」だけは相変わらず加速度十分で(当たり前ですが)言葉がどうであろうと「La Luna Nuova」同様私にとっては何の問題も御座いません。やっぱり大好きなもんで盲目的にいつでもオッケーなのであります。

Live In USA /P.F.M. (1974)

先の2枚のアルバムによって瞬く間に世界的な成功を収めた彼らはその勢いで米国ツアーへと乗り出しましたが、この作品はその壮絶なステージのドキュメントであります。発売当時は「Cook」というタイトルで発売されていたそうですが、リアルタイムで聴いていなかった私は全く知りませんでした。すみません。例によってインターネット通販にて(在庫切れの為)何度かのチャレンジの後入手したわけですが、これは聴いて動悸を激しくされた久々のCD、でございました。月並みですが「ノリにノっている」という形容が最もと思われる絶頂期の演奏に有無を云わせず巻き込まれていくこの快感。スタジオではいわば繊細さも彼らの魅力の一つではありますが、この辺りのライヴではアレンジもエネルギッシュさを強調するものに変化している曲が多くこれがまた見事にハマッているのです。。飛ばしに飛ばす「原始への回帰」から始まる圧倒的なパフォーマンス、是非一人でも多くの方々に聴いて戴きたい一枚であります。余談ではありますが、我々プログレオヤジをターゲットにしたレコード業界の最近の戦略に「紙ジャケ仕様による往年の名作の再発」という困った傾向がありますが、99年8月にはこの作品を含むP.F.M.作品の紙ジャケ盤が発売されました。音質もかなり素晴らしく向上して生まれ変わっており、ファンには嬉しいプレゼントでしたね。